「東山魁夷画伯詩碑 」
東山魁夷画伯の「馬車よゆっくり走れ」という文字と絵が刻まれている。 先を急がず本物の町づくりをしようと願いを込めて信州須坂町並みの会が建立した。
「渡れない太鼓橋」
墨坂神社の太鼓橋は湾曲が強くて渡れない。 「神様が渡る橋なので人間は渡れなくても良い」のだとか・・・
「円光寺太鼓堂」
明治27年に建立された八角形の太鼓楼は欄干の木組みや楼の下の亀甲形の模様など、凝った創りが施されている。
「長野保健所須坂支所」
大正6年に建築された旧郡役所の建物を利用。 バルコニー付玄関、洋式窓、水色の外壁など当時の流行の最先端をゆく木造洋風建築 。
「寿泉院の忠治地蔵」
江戸時代の侠客・国定忠治にちなむ地蔵。 三度笠とマントが忠治を象徴している。 中風除けの地蔵として親しまれている。
「製糸家の長屋門」(アートパーク内)
須坂の製糸王と言われた越寿三郎氏が明治30年代に建築。 豪壮な長屋門から製糸業全盛期の心意気が伝わってくる。
「総萱葺きの曲屋」(アートパーク内)
須坂に唯一残った江 戸時代の曲屋。 須坂歴史的建物園にある移築家屋のひとつ。
「旧園里学校」
須坂市指定有形文化財。 玄関の柱は木製円柱に筋彫りを施した洋風で、古い写真によると玄関の上には、六角形平面の塔が付いていたことが分かる。 このような建築様式は、明治20年より以前の学校建築などに用いられた擬様式(洋風建築と、日本の建築様式を折衷してつくり上げた様式)の特徴をよく示しており、明治初期のこの地域の動向を具体的に物語るものである。
「田中本家博物館」
江戸中期よりつづく北信濃屈指の豪商であった田中本家代々の生活文化を展示する博物館。 約100m四方を20の土蔵が取り囲む豪壮な屋敷構えは当時の面影を伝えています。 軒を連ねる建物のほか殿様お忍びの門や日本庭園などがあり、土蔵を改装した展示館では種々の展示をご覧いただけます。
「松代城跡」
禄3(1560)年、武田信玄が上杉謙信の攻撃に備え、山本勘助に命じて築城したものです。 元和8(1622)年に真田信之が上田城から初代松代藩主として移って以来、真田氏10代が城主として続きました。 昭和56年に国の史跡指定を受け、発掘調査の後、門の復元や石垣・土塁の修復工事が行われ、130年の時を経た今、その雄姿をあらわしました。